『美の巨人たち』河鍋暁斎「大和美人図屏風」(日本)

河鍋暁斎−Wikipedia
(1831−1889.04/26)


歌川国芳って言えば反骨というより“変わり者”という感じの人ですが(なんとなく政府をおちょくるのが面白いから反骨っていうような気もしないでもない)。その弟子であるこの河鍋暁斎氏、時代が良かったのか悪かったのか。
口がすぎて牢屋にぶち込まれ、それでも自由にやっていたら文明開化を経て押しかけ弟子に外人さん、イギリス人の建築家がやって来たという、いや、面白い気はしますけどなんじゃいいきなり! というのが正直なところだと思います、さすがに。
というか、イギリス人建築家がフリーダムすぎるのか。
有名な建築家として(多分)政府筋に呼ばれて有名な建物を幾つも建てて、見も知らん土地の反骨の絵師のところに押しかけ弟子って、、、いい度胸だよなぁ。怖いもんないよなぁ、んでしかも、建築家は基本的に設計図を必要とする関係上、デッサンの素地はあったようですよ、結構上手くやっていたみたい(腹ぁ括った師弟だな)。


腕が一流っていうか天才肌でほとんどどんな絵柄もこなし。
この建築家ジョサイア・コンドルが積極的に紹介したってこともあるんでしょうね、海外でも評価が高いっていうか、海外でのみ名前が残ってた時代もありそうな。しかしこの表題の作品は彼らの死後、行方不明に、、ってコンドルさんの直径の子孫が大事に持っていたのは行方不明って言わないよ! やっぱり国内で忘れてたんだろう?!
まあ、いいものはいつでもどこでもいいってことで結論いいんじゃないですかw