『爆問学問』#43 宮田亮平(芸術学)後編

“アートのハート 〜芸術は爆発、か?〜”の後編、で、学長サンが答えていわく「でも、昔っから居場所なんてなかったんだよー」と。うんまあ、正直、そっちのほうは興味が薄いもので(一応番組一つ見てますが)、あまり詳しいわけではありませんが、それでも当人も周囲も認識も、かなり波乱万丈ですよね、確かに。
要するにまあ、今認められているように見えるものだって、必ずしもそう確信していたってわけではないのかもしれないし。だったら全く逆に、今全く認められていないのもそれもそれで大したことではないというか、誰にも見られずに誰にも省みられなくても、いつか認められるということでもあるのかもしれないし。
(でも、やっぱり大部分は省みられずに消えるんだろうとも思いますが。)
(能力だけでなく、運とかもあるんだろうなぁ。)


過程なんかいらないよ、と長々語る太田さんのことをばっさりと切ったのも。
ある意味で自分がそうだからなのかもしれないし、「過程そのもの」が作品として認められている嫉妬に近いような感情もあるのかなぁ(なんとなく最後にピン刺してた時そんな感じだったよね、あまり嫌なニュアンスでもなく)(男の子っぽい対抗心っていうか)。
とはいえ、もちろん飽きたから、という田中さんの指摘もあるかもしれませんがw
そして案外、無条件ではないものの、太田さんにも単純に認められたい、という気持ちがあるものなんだな、ということが透けて見える珍しい前後回だったような。
結構、突かれるたんびにきゃーきゃーと騒いでたよねぇ?
すっごく最終的に目指してるものは同じなのかもしれなくても、太田さんとはアプローチの仕方が違う人種なのかもしれません、芸術って結局。