『世界ふれあい街歩き』アビニョン(フランス)

まあなんというかざっくりと「アビニョン虜囚」と言ってローマ教皇庁(法王庁とも言うんだけどね)がここに移されていた時期があるんですけどね、誰がやったかって言うとあれなんだけどね、フィリップ美王なんだけどね、他になにをしたかというとイングランド王家から嫁いで来た女性を3人ばかり処刑したりテンプル騎士団を火炙ってたりした人です。
(それぞれの事情とか動機は一応それなりに説明されてるけど、全部合わせるとこいつか! としか判断出来なくても別に偏見ではないと思うの。無理ねぇべ。)
最初はローマ教皇が浚われた形で始まりまして、南仏のプロヴァンス地方のここアビニョンに教皇庁ごと移転、ここにあった時代は全てのローマ教皇はフランス人で、正直放蕩と享楽に溺れた、とは言われていたものの。
この地にペストが迫って来た時代に各地で逃げ出す支配者層を尻目に収束の時点までこの地で対応に当たり、迫害されたユダヤ人などを庇ったという話なんかもあるんだよ。
というのはすみません、全て番組と関係なかったですごめんなさい。
番組ではこの地にローマ教皇庁が移ってきたもんで、いろんな芸術とか亡命者たちが持ち込んできた文化などももたらされたんだよー、という話はしてましたっけか。


法王庁って番組では言ってるのでもうそれに合わせてしまいますがw なんでも法王庁は岩山の上に作ったのでそこに上がるための緩やかな道もセットで作ったんだって。
なんでそんなこと、と思ったけど下の土地から見ると単に高い教会でしかなかったのに、上がってくるとかなり広い場所になってるので、これは確かに納得。防衛なんかの観点でもやりやすかったんでしょうね、これだと。
ていうか、リキュールでペストを食い止めたって一体なんぞww