「玉電が走った街 今昔」林順信

んーと、まあ、もうちょっと広い地域に存在してはいたのですが、大雑把に代表すると世田谷の地を走った路面電車ということになるのかなぁ(現存路線は東急世田谷線ですね、本の中で新玉川線と呼ばれているのが今の東急田園都市線のことでいいのかな? ある程度被ってるのは間違いないんですが少し違う?)。
あ、1999年の本なんですが、この翌年の2000年8月に改名したみたいです。
前からちょっと気になっていた砧線というのは玉川線と一緒に廃線になってたのか。
あとあれですね、元・玉電の溝ノ口線とかは他の路線に再編入されたのかな?
(で、玉川線が地下路線化でいいのかな、今の世田谷線はどうも東急に買収された後は「高井戸線」と呼ばれていたみたいなんですが、実際の名前は世田谷線でいいのかしら。)


ええと、明治40年に開業したのち、東京市電とほとんど相前後(というか3日後?)して渋谷の街に到達、当然その頃には現在の山手線しか存在しなかったのですが、その後、昭和初期から東横線に帝都電鉄、東京地下鉄道(じゃないんですがまあわかりにくいんで)などが次々と渋谷にやって来て。
どうもそのしがらみの中で同じ渋谷を基点にしていた東横に買収される運びに。
実はこの辺、完全にはっきりした目的などがわからないみたいなんですよね、前後の事情でなんとなく察することは出来るんですが。まあ、相手が「強盗慶太」だからってこともあるのかな、東急と呼ばれることになる少しばかり前のことですが。
ただ、この玉電って砂利鉄道として生まれ、沿線に軍事施設、学校、発電所を持ち、少ないながらも宅地開発、遊興施設も持っていたっていうから、なんか勿体無いよなぁ。
今残っていたらどんなだったんだろう、というのも無意味な想像なんですけどね。