「懐かしの都電−41路線を歩く」石堂秀夫

そこまできっぱりと別れてるわけでもないんですが、基本的に都電の本に関しては主に戦前の“東京市電”時代と主に戦後の都電と呼ばれるようになってから(実際には厳密ではないんですが、都電という名前になったのは終戦ちょっと前)の本とになんとなく別れているんですが、その違いが主に路線の呼び方。
41系統というのがそれで(実は同時に存在していたことはないようなのですが)、戦後に戦前は愛称で呼ばれてもっと細かい路線だったものを編成し直して数字系統で呼ぶことでわかりやすくしたものらしいんですが。
覚えにくいのでは、と思ったんですが、自分がどの路線を使うかということだけを皆がそれぞれ覚えていたようですね。ただ、全体としては当時から把握しにくかったのかも。
この本ではその系統ごとにどこからどの方向に行くどのような路線、ということで語っていたので少しばかり戦前の事情も触れられていまして、正直戦後に焦点当たった本の中では一番わかりやすかったんじゃないのかなぁ。
ご当人が鉄道の専門家ではなく、自分が通った土地などをその思い出とともに、というのはさて置いて若干の癖はあるように思いますが、まあ気にならない範囲かな。
旧地名の改名に対して憤ってる人って説明なしに延々と怒りだけ書き連ねてたりするので知らない土地だとなんのことやらなんですよねぇ。


この方の場合は結構東京満遍なくご縁があるので、あー、ここの地名惜しかったこっちは残ったからいいんだけどね! て感じなのでまあそれはそれでw
あと、この本で三田営業所(三田車庫)が花形って意味初めてわかりました、ああ、なるほど、1系統2系統3系統が所属してたのか。