『都市と防災’08』#3 都市災害の歴史と法制度の変遷

1457年、大田道灌の築城。1590年、徳川幕府の入府。1604年、“江戸大改革”に着手。18世紀に人口100万人の世界最大の都市に。
1868年、江戸から東京へと解明。
昭和恐慌期:1923−1930年代の震災復興期。
軍事体制気:1930年代−1945年の防空都市計画。
あとは占領と回復期が1950年くらいまでで東京オリンピックがあって、高度経済成長期が1970年代まで続いて、それ以降は都市問題が発現、というか意識され始めたと。


1657年の明暦の大火、江戸の6割が焼失、10万人の死者。
1872年(明治ね)の銀座大火、て、ああ、それで銀座が煉瓦街になったのか…へー。
1876年に酒田大火、場所どこだろう、今の酒田市で死者3千人、都市計画そのものの変更のきっかけになったそうです。焼失ヘクタール数聞き損ねた。
1923年に関東地震、て、関東大震災のことかな? ああ、空襲と比べられてるから関東大震災のことだね。横浜の港湾地域に山下公園を初めとして、震災復興公園というものが都市に作られたそうです、今も残ってるのが元町公園くらい。
あ、同潤会アパートって関東大震災あとに鉄筋コンクリートで提供されたものなのか。
防空都市計画、中心部から15km圏に外環状空地帯を作り内側に向かって外放射空地帯(通路だと思う)、さらに内側10km圏にに内環状空地帯、内放射空地帯が5km圏に向かって伸びているという構造。今もグリーンベルト構想として少し痕跡が残るようですよ。
1964年6月に川崎のコンビナート爆発、水俣でも発生、ていうかオリンピック前の建設ラッシュの時代に起きていたのかこれ。