「重いくびきの下で−ブラジル農民解放闘争」フランシスコ・ジュリアン

この地の農民の立場を表すのにわかりやすいかなと思うのは、この著者さんが公の場で「カンバネス」(カンボがだいたい日本の“田んぼ”に相当)と農民のことを表現した時。
あまりにも過激すぎる、という非難を受けたという辺りでしょうか。
地主制を基礎とするこの国では、人間そのものが個人の財産。
その制度が壊れつつあり、大規模なサトウキビ工場などに取って変わられる、という現状には逆らえないものの、だからってかつての農奴、現在の小作人を奪われる筋合いはない、というのは相手が人間でないのならば、まあそれなりに通った理屈なのではないでしょうか、この著者さんはそんな状況の中で両親両祖父母に地主階級を持った人物であり。
一時は政府高官すら目指せただけの頭脳を持ちながら「農業組合」を結成。
虫けらかなにかのように、見せしめのように殺されたり、死体を晒されたりする農民たちの中で唯一殺すことが出来ない、数時間拘束するだけでも世間の非難を受ける存在として戦う存在なもので、実の父親に家の恥さらしとして殺人予告も何度か出されたのだとか。


そのきっかけというか、彼の戦う理由は彼が生まれた頃に亡くなった「砂糖のように甘い」と言われ、農奴にすら慕われた母方の祖父のせいかなぁ、と考えることがあるそうで。
(ちょうど時代の変遷期で、父方の祖父は農奴を惨めな形で失ってますしね。)
いわく、死んでしまった人は理想化されがちだしね、とのことなのですが(とはいえ、小さい頃からずっと話は聞いていたそうですよ、周囲がその恩恵にあったわけだし)。
でもまあなんとなく、もともとというか、生まれつきだった気もしないでもない。
けれど彼も無力で、まずは無給労働“カンバーン”を止めさせ、曲がりなりにも土地を、と目指すしかないと誓っています、1976年の本で、その後どうなったのかしら。