「ムハンマド・アリー−近代エジプトの苦悩と曙光と」岩永博

とりあえずこう、エジプト近代化の基礎を、と言われたら多分誰も反対しないのでしょうが、こういう人物によく付けられている「父」の言葉がどうも似合わないというか。
(トルコ近代の父アタテュルクとか、エジプトだとナセル大統領とか。)
その意図がわからないわけではないんですが、どうも急ぎすぎた感は否めず。
もちろん、それ自体は諸外国との関係上、仕方ないというか無理はないということはあるのはわかるんですけどもね、単に強硬な人物、と見るには西欧の強国に対しての腰がどうも低く、特にイギリス関係ではほとんど平伏状態。
当時は世界最強だったイギリス海軍を面と向かって敵に廻せ、とは思いませんが。
相手が信義に値しない行動を取った場合は非難すべきだと思うんですよねぇ。
もともとこのイギリス、オスマン帝国の維持という目的を一貫して掲げ、大雑把に言えばギリシャの独立もエジプトの独立も目障りではあったんですが、オスマン帝国内部に関していえばほとんどまともな戦力というのがこのムハンマド・アリーくらいだった分。
横槍を入れるのにも限界があったとは思うんですよね、もともと。


この軍事力を維持するため、国内では大規模な徴兵令を敷き(大人しいエジプト人はほとんど死に物狂いで逃げたそうです、村壊滅という例までぽちぽち...orz逆にすごい)、なかなか上手くいかないながらも工業化も推進し、中東シリアを分捕ったのもそういう意図だったかと思うんですが。
なんとなくこう、軍事に特化していた分、政治が苦手だったのかなぁ、という印象が。
まあ、この方がなんと言われようと事実上のエジプト独立を成し遂げたわけですし。
外の人間がどうこう言うことではないと思うんですが、なんか惜しいんだよなー。