「非ユダヤ的ユダヤ人」I・ドイッチャー

とりあえずなにがショックだったかというと、マルク・シャガールフロイトがユダヤ人だったということを知らなかった部分でしょうか。あと、トロツキーそうだったのか?! というのはどっちかというと平静に受け止められました、そっかー。
ちなみにフロイトは伝記読んでます、なんで知らないんだ...orz
ユダヤ人は、とりあえず日本にいない、というくらいであとどこにいるのかがさっぱりと把握できず、それが人種でないことも言語でないこともはっきりしていて、“ユダヤ教”が起点になるというところまでは了承できても、しかしそこから離れたはずの彼らが「ユダヤ的」としか言い様のない放浪、どこにも属さない人生を送るのはどういうことなのだろうか、という本だと理解してよろしかったでしょうか。


ほぼヨーロッパの、というか東欧のユダヤ人が主に取り扱われているのですが、物理的にも精神的にもユダヤ人が存在している、というところまでが確定であとのことがよくわからない。西欧の彼らは富裕層、文化層としての存在感を増し。
東欧の彼らは独立して暮らし貧しい生活を送り、ロシア革命は彼らを“教育”しなおそうとしました、農民が一番! せめて労働しろ、みたいな。ところがユダヤ人どこでも農村行きたがらねぇw(イスラエルに唯一の例外が語られてましたが、徹底してんなぁ)
そしてそんな中にドイツにナチズムが登場、推定600万人のユダヤ人の命が失われたものの、それがなんだったのか著者さんは語りません、なんだかわからんよね。
そもそも欧州は「ユダヤ化」したとも言え(近代化って要するに金融化だよねと)、あらゆる文化を超越した人物もまた伝統から離れたユダヤ人の中に登場したのだと。
皮肉というかある意味でそうなるだろうなぁ、と思えるというか。