『知られざる大英博物館』第1集 古代エジプト 民が支えた3000年の繁栄

大英博物館と言えばエジプトや(こっちは自国の考古学が進んだので自国で研究を、という文脈なので多分エジプト単独なら話一部通ってたかと)、ギリシャ(当時の“国”がオスマン帝国だったんだよなぁ、オスマンと英国との交渉は正規で行われてることを一旦認めた上で、という立場は取るべきだと思うんだけど;)などからの考古学品の返還要求が行われていることで最近むしろ知られていると思うのですが。
近代以前に国境は曖昧ってことも少し頭に入れたほうがいい気はするかなー、とは。


エジプトって基本、今はそんなイメージないかと思うんですが、ローマ帝国なんかの頃にははっきり“穀物庫”と形容されてますし、3千年の王権が途切れたあともエジプトを手に入れたものが地中海を手に入れると言われてたんだよね。
てことは、多少地位が低いように見えても下層もそう貧しくもなかったんじゃないのかなぁ、と思えないでもないんだよね。農業は集団でやったほうが強いしな。
ここで出てきていたのは1753年に発見されたスーダンの西アマルの地の「ケンヘルケプシェフ」という、えーと、一般家庭出身の文官で、大雑把に日記魔、日常に関することをちまちまと書き連ねていたのが後世に残り、庶民の生活を伝える良い材料になってる、と紹介されていたのですが、今と日本とも大して変わんねぇな人間らしいwww
それとルクソール(テーベ)のデル・エル・メディーナ“王妃の谷”、太陽王・ラムセス2世(『旧約聖書』のモーゼと同時代)王妃が葬られているそうですが、どうも庶民の墓と見るほうがいいようです、てか、エジプト最大の王の王妃はなんでここにいるの?
ミイラ手順も違い簡略化されており、ただし死後の世界を信じたところは同じ、どうも庶民ならではの独特の世界を持っていたのではないかと見られているのだとか。