「江戸・東京を造った人々(1 都市のプランナーたち」『東京人』編集室

そもそも江戸という地名は一体いつからどうして使われたのか、という話や、江戸城で地味に知られている太田道灌。まあさすがに誰でも心当たりのある徳川幕府がこの地にどのようにしてやってきたのだとか、正直庶民が来たがらなかったのでなんとか呼び寄せようとした話や、町人たちのまとめ役をスカウトして引き抜いて来たという辺りから始まるので、ある意味でこういう太い本を手に取る程度の興味のある人なら問題なく頭に入ると思うのではないかと思うのですがw
そのまま上水道(玉川上水と神田上水って西側の人間だとたまに見てるよね)からその開設者たちの子孫がその管理の役を取られ、武蔵野新田への分水が行われ、要するにここで江戸への食糧供給が整えられたよ、という流れになっているのは正直さすが。
防火対策の辺りや上水がそのままシフトしたような水道の敷設までは結構面白かったんですが、うーん、鉄道計画や銀座煉瓦街の辺りになると、語られてる内容自体がわりと知られてることというか、事態が局地的になってしまって全体像を見通せる感じではなかったかなぁ、という雰囲気でした。


いや、内容が悪いわけではないんだ内容が。多分開発事業そのものが局地的になって、抜き出されたことだけではつながらない、というだけのことなのだと思います。
特に江戸から東京への象徴的な変化だと思えたのがあれですね、玉川上水(当時は神奈川、神奈川の水源は別にありました)の管理を東京が行えないために三多摩と呼ばれる地域が東京府へと編入された辺り、あー、それで長細いのか…。
銀座煉瓦街などに関してはともかく、官庁街の計画や京浜工業地帯はもう少しちゃんと読みたいですね、上水と水道に関してが一番良かったです、詳しく知りたくなりましたw