『現代南アジアの政治’12』#3 インドにおける民主主義と経済政策の展開

植民地型の経済体制からの脱却、一次産品を輸出しての工業製品の輸入という状態から抜け出すためには工業化が不可欠になる。なるほど。

そこで持ち出されたのが「ダムと給食」の問題、設備投資の結果が出るのは先で、まず食糧支援(給食無料化)が行われるべきだ、と民主主義下では考えられる傾向があるのだとか。

んーと、独立直後の左派は計画経済(ソ連型)、重工業は国有化、農業改革をすべき。右派が市場の活用と国家はインフラに専念すべき、農業改革はすべきではない。

前回で見た限りでは右派が勝ったのかな? 農村の貧困問題が残ったままだよね。

なんかややこしいんですが、どうも右派も左派も“会議派”の流れであるのは変わらないのかな? 会議派そのものは独立前から存在し、もともと左派は会議派社会党社会党が会議派から分離したあとも会議派に残留。代表人物は首相のネルー

右派はもともと会議派を形成したパテール内務大臣。

会議派の支持基盤は地主だったので上の農業政策ってのはその表れなんだね、初期は右派の政策、第一次五ヶ年年計画(1951~56年)でも右派の農業政策がメインだったものの1950年にパテールが死去し、ネルーの左派にシフトしてったわけか。

 

ネルーの経済政策は計画経済・統制経済・輸入代替工業化政策。

と、聞くとなんか題目的には右派の社会主義寄りっぽいんだけど、あくまで民間企業を規制の中で計画に組み込むっていうコンセプトみたいですね。ライセンス制と、国家と民間が分担する産業を取り決めたようです、発展次第民間委託っていうとよくある話になるね。

ネルーの娘のインディラ・ガンディー時代にアメリカとの関係などもあって右に左に揺れたっぽいなぁ、少なくとも彼女の時に地主からの独立傾向はあったみたいだ。