『探検バクモン』禁断の映画パラダイス(後編)

これ書こうと内容を思い出していて気付いたんですが、この映画の保存館は確かに“正しく保存すれば千年は持つ”というフィルムの形式で保存するというコンセプトではあるものの、よく考えたら映画文化の保存が主目的のはずなのに、建物の意匠に隠されているのが延々とフィルムだったのはどういうことなんだろう一体ww

映画そのものに馴染んで欲しいんじゃないんだろうか、フィルムのが重要なんだろうかw

あとあれですね、映画を見る上での縦横比の形の天井窓って、やっぱりなんか微妙に外枠重視っていうか、撮影手法そのものは変わってしまうって考えているのかなぁ?

 

前編にてここの保存スタイルと方針が主に語られ、後編のこの回ではある日この保存館の人が「こんなものがあるんですが」と差し出されたのだというライオンの創設者である小林富次郎氏の死後3日めの葬列を撮ったという日本現存最後のフィルムで、ええと、明治43年の12月16日になるのかな。頻繁に行き来する都電と(てかこの時代だと市電か)(ああいや、前身の東京鉄道時代か!)、その脇を柩を運んでいるのだろう馬車と延々と続く行列、という映像だったんですが、太田さんも言ってましたが文章であの様子を全て書き残したものなんてのはきっとないんだよなぁと言ってましたが全くだよなぁ。

私なんかだと見たまま判断するしかないんですが、近代の葬列とか街並みとか、詳しい人だとあそこからいくらでも情報収集すること出来るんだろうしな。

ていうか、番組見てた時はぼんやりと聞いていたんですが、このフィルムってひょっとして半世紀以上保存館じゃなくて個人宅にあったんですよね? 正直、他の映像と比べても非常に保存状態が良いように見えるんですが、桐の箱の威力なんでしょうか、すごいな…。

フィルムセンターもですけど、画像って「全部」保存するからいいんだろうなぁ。