「江戸東京・街の履歴書2-浅草・上野・谷中あたり」班目文雄

浅草は、というよりは正確には浅草寺が、なのかな? 江戸よりも古いんだよ、と言われると詳しいことはわからないながら、なんとなく納得するものがあるんですが、全ての鉄道があの辺で敷地を避けて歪曲していることといい、新吉原が日本橋の近くから移転され、芝居小屋が(寛永の改革のため芝居小屋が規制された、というのはわかるんですが、明治に至るまで解禁されなかったんだね)江戸中から浅草のほど近くの猿若町に集められ。

その規制がなくなった明治になると浅草6区の空いた土地に映画館が集結することになった、という全ての流れが浅草寺を中心に進んでるように見えるんだよね。

んで、人がいるからさらに人が集められるというさらなる循環に。

そういう意味ではこの本は面白かったんですが、個人的には「江戸の郊外地」(水運によって移動自体は今より楽だった)という認識だったので、江戸の下町文化そのものの体言として語られるとちょっと違和感あるかなぁ。

ただ、この土地で、それこそ仲見世を歩くことで示される江戸っ子気質なんてのはあるんだろうとは思うんですけどね。ていうかなんで仲見世に店が並んでるのかと思ったら、もともと仲見世は聖域(浅草寺ではなかったりします)への入り口であって、人がたくさんいるので店が並び、寺院側はそれを黙認し、その道を管理することによって持ちつ持たれつの関係になっていたのだとか、ああ、要はもとは必ず通るところだからということに…。

 

上野は寛永寺という天海僧正の開いた寺が存在し、どうも土地が低いので使い勝手が悪かったようですがおかげで広い土地が残り、鉄道が土地取得しやすかったのも、様々な施設があるのもわりと開発がしやすかったということになるのかな。

谷中もですが浅草上野も結構混在して存在してるようで、まあどこもそんなものかしら。