『八重の桜』#19 慶喜の誤算

正直、政治絡みの話になると、会津視点ではさっぱりわからないというか、会津視点だとより意味がわからなくなる傾向があるというか…。会津、政治的にはあんまり正しくない方向にいつも動きますしね、うん、人間的には正しい気がするけど頭堅ぇっ!

今まであんまり幕末関係の大河やドラマなど見てこなかったので、まあ、この辺の時代を描いたフィクションを他にそう見たことがあるわけでもないんですが(新撰組関係のドラマなんかはありますけど、あれもあれでなんか遠いんだ)、薩摩なんかは立場が変わったからまだともかくとして、幕府の中枢、徳川慶喜やら長州やらが必要以上に「悪」に見えるという側面はあると思ってまして、まあ、会津視点だと仕方ない気はするんですけどね。

この時代に生き残りを掛けて動くこと自体は別に悪でもないよなぁ。

いや、徳川慶喜とか松平春嶽とか、“会津の京都守護職”絡みの件に関しては、会津みたいな性質の藩にこれ押し付けるってないだろ?! とは思いますものの、他の面に対しての全体的な行動に関しては、多少あくどかろうがそういう時代だ、という認識をしています、むしろこう、会津みたいな頭堅いところ(褒め言葉)を利用するなら利用するでもうちょっとなんとかならないのか、逆効果だろうがっ! というのがほとんど全てです。

 

ていうか、上手く使ったつもりが逆効果、というのが多分正解なんでしょうね...orz

この頃になると長州はほぼ復権、敵対勢力はほぼ薩摩へとシフト、薩摩と新撰組の睨み合いなどでも表現されてましたが、敵対意識はもう剥き出しにされてる。されてるんだけど、会津は別に薩摩を憎むでもなくって、頭堅い本当に頭堅い! 褒め言葉ですが!!

すみません、徳川慶喜は長州と薩摩の出兵意思を見抜き、それを骨抜きにするために「大政奉還」(主権返上)、そっからは本当に政治ゲーム、正直うんざりはするなぁ。