『八重の桜』#21 敗戦の責任

大変正直に申し上げてこの回、なにが起こったんだかよくわかりませんでした、はい。なにがわからないって、そもそもどこが戦場でどこでやりあっているのかから気を抜くとわからなくなる体たらくなんですが、それからさらにどこにどのようにして「逃げた」のかがわからない(これはあとから補則しました、戦場が京都で敗走して江戸ね、どうも海路使うと思ったよりずいぶん早いんだなぁ、とかいろいろわかってない)。

会津のお殿様がなんで拉致も同然の状態で徳川慶喜に連れ浚われたのかの目的もよくわからないし、さらにそれをなんでなんの関係もない、というか単にあとから懸命に追いかけただけの会津の重臣が責任を取って切腹してるんだかもさっぱりわからない。

大雑把にわかったのが徳川慶喜が悪いんだろうな、ということくらいでしょうか。

 

ところで私に限らず、この時代に薄い興味を持っている人らなどは特に徳川慶喜関係のエピソードで非常にプラス評価のものばかり聞いているのではないかなぁ、と思えるのですが、個人的には今回の大河のほうがしっくり来るかなぁ、というのが今の時点での雑感。

なんというか…、徳川慶喜の動機や発想として語られているのがこの人は未来予知でも出来るんですか? みたいな完璧すぎる内容だったからじゃないかと思います。

あまりにも完璧すぎたんで、違うって言われたら、ああ、と納得したというか。

非常に頭がいい人なんだろうとは思います、この後の時代見ててそうでないと感じる人はいないと思うし、ただ、逆に言うと状況が悪いとすぐ逃げるっていうか。

会津のあまりにも逃げない、なにがあっても直進する資質と比べると心苦しいんですがどっちもどっちというか、相性で言うと最悪ではないかなと思います。会津はもちろんそれが美徳なんでしょうが、どうしても見ててもうちょっとって思うなぁ、ううん…。