「昭和時代の新京成電車」RM LIBRARY-164、石本祐吉

昭和時代の新京成電車〔RM LIBRARY164〕 (RMライブラリー)

昭和時代の新京成電車〔RM LIBRARY164〕 (RMライブラリー)

そもそも新京成電鉄というのは“京成”の名前のもとになった成田(まあ片割れが東京なんで…そっちも微妙か?)とはなんの関係もなく、あくまで京成関係だよん、という意味で新京成という名前であるものの、もと軍事路線、西武と京成の取り合いを経てほとんどを単線で出発したものの、高度経済成長期に住宅地として選ばれまして。

今では日本一運賃の安い私鉄の一つです、間すっ飛ばしすぎたけどw(東急京王新京成

もともと鉄道連隊の路線を作る練習のために路線がだいぶぐねぐねと曲がっていまして、今でもあまり酷いところはショートカットしたもののほとんど円を描くような形をしているらしいのですが、それが住宅地としては住みやすかった、複数の路線とつながり、短距離の乗換えを主な利用方法としている(それが安い運賃設定にも出ている)らしいですね。

鉄道関係の本を読んでいるとわりと出てくるこの鉄道連隊なんですが、正直、だいぶ善良というか、民間との関係がかなり良かったんで、わりとそのまま路線が残ったという意味がわかるような気がします。そこらの軍部とは比べ物にならないというかw

 

この本で扱っていたのは主に昭和から(作られたのが上の事情から当然ですが戦後)、平成初期のほんの数年までの間。京成からのお下がりの青電によって運営されていた時代ですが、本の中でも結構言われてましたが、だいぶなあなあになってますねこれ。

そもそも第2車両工場が京成とも新京成とも一つのレールでつながっていたもので、ほいほいやり取りもされていたようで、移籍の時期もよくわからない。一応行政に届け出した日を基準にするけどね! と言われてましたよ。

ここでは触れられてなかったんですが、乗務員の人たちはどうだったんだろうね?

今はすっかり新車になったものの変わらず名前は新京成で、それもそれでいいのかなw