「多摩の街道(上」甲州街道・青梅街道編、清水克悦/津波克明

多摩の街道(上)  甲州街道・青梅街道編

多摩の街道(上) 甲州街道・青梅街道編

  • 作者: 清水克悦・津波克明,160
  • 出版社/メーカー: けやき出版
  • 発売日: 1999/03/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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もともと甲州街道に接して長年暮らしてるみたいなものなんですが(この辺にも京王線がよく出てきましたけど、そもそも甲州街道に敷かれた路面電車だったのである意味で当然)、日本橋から新宿までも甲州街道って言われるとちょっと違和感があるかしら。

新宿からあとは八王子までほぼ馴染みの地名ですね、ちょっと北にズレるんですが青梅街道なんかの地名も地味に聞いてるなぁ、観光地もあるんですがそうでなくても近所っぽい。

調布がメインだと思ってたらもともと布田五宿って言ってたんだとか(京王相模原線は分岐線が昔からありました、布田避けて調布にしたのかな?)、基本的に皆、武蔵野の中心である府中のほうに足を伸ばしてしまっていたのでこの地はあまり振るわず、幕末になって飯炊き女を抱えるようになってから俄かに隆盛したとか。

半公認、というか黙認の女性ですね、時期違うけど内藤新宿と同じパターンか…。

とはいえ、当然明治政府になってからそんなわけにもいかないので結構短い華だなw

あとは日野の渡し、多摩川をどうやって越えてたのかと思ったらやっぱり苦労してたんだな、八王子から先は難所なんですが、多摩の本なので相模湖の辺りで本は終わり。

 

青梅街道は新宿駅歩いてると結構どーんと看板あったりするんですが、いやなんか旧街道名で呼ぶのがこの辺一般的なのかなw 成木という土地から江戸に石灰を運ぶために作られた街道なので別名を成木街道とも言い、田無はその中間地点に自然発生した宿だったようですが甲武鉄道が通る時点でそれを許否し、結局地位転落という、あらどっかで聞いた話。

あー、そもそもこっちは産業用道路だったのか、そのためか結構しばしば経路を変更し、現在は横田基地によって迂回を強いられているのだとか、五日市街道なんて分断されてるしね、という話を聞くと切ないなぁ、もともと古名が結構身近なので…なんでか知らないけど。