『住まい論’10』#3 離島漁村の共同性と住まいかた

正直この回で語られていた“寝屋”“寝屋子”、という概念は、なんていえばいいか、すでに褒めてる段階からちょっと不自然な習慣になりつつあるのかな、というのが正直なところではありました。「家で寝てたら友達なんか出来ませんよ、本当にいいことだと思います、そういう習慣は必要だと思います」とは言ってるんですけどね。

もともと漁村で技術を伝承させるために始まった風習だということを考えると、寝屋に行かないと友人が出来ないって言ってる時点でなんとなく変なんだよね。

 

この離島ではそもそも島民のほとんどが親類とのことで、少し語られ始めから重親類というちょっと独特な表現が使われていたのですが、重親類はともかくとして親類よりも近所の人に頼る傾向があり親類間では貸し借りはほとんどしないものの隣近所でのやり取りは非常に多く(品物も小さなものなんだろうと思うんですが)、さらに火災の当番などはまた違う枠組みの中で行っている、ということで、親類と火災当番、隣組などが全て違う付き合いとして存在し、さらにそこに寝屋というシステムがある、と説明されていたのですが。

この寝屋というのはそもそも「信頼のおける」「子どもが小さな家」で「無報酬」で設置され、周辺の子どもたちが集まってきて(食事は各自の家で)結婚までを共に過ごし、生涯付き合いが続く、という習慣なんですが、どちらかというと私はこれが島の外の人との結婚が頻繁になってくることになって減っていった、というほうが興味深かったんですよね。

多重階層な付き合い方が寝屋のために可能になっている、と説明されていたのですが、どっちかというとそもそも密な関係のある島だったから寝屋が成り立ってたんじゃないかなぁ、逆だったんじゃないかって思ったんですよね。

しかしこの回が砂漠と湿地帯の中間の住まいって言われても正直よくわからなかったw