『住まい論’10』#7 変容する血縁家族と住まい

ここまでずっと、砂漠の家から始まって(閉鎖タイプ)、東南アジアの外側に開けた家とか、村落の共同体である“寝屋子”だとか、日本の建築様式のルーツが語られ、そののち中国と韓国との非連続性(ぞれぞれの環境によって独自に発生したのではないか、という見解)などという流れで語られていたのですが。

多分ここからが近代以降、大雑把に私が思わず日本の建築様式、と聞いて思い浮かべた「団地」以降の流れということになるのではないかなー、と推測されるのですが、そもそも講義の名前を思い返してみてもそのほうが妥当な内容だという気はしないでもない。

まず住まいとはなにか、と語り始めてもおかしくはないんだけど正直若干長かったな。

 

で、農村住宅の「整形四つ間型」、すでに江戸の頃には規格化されていて、世界的に見てもかなり早い、ということが言われていたのですが、多分それ、江戸が極端に過密都市になって頻繁に火災と転居(と職替え)を繰り返していたことと無関係ではないんだろうなぁ。

(女が極端に少なかったので女の出入りは厳しいけど、男は簡単に行き来してたはず。)

で、ちょっと話飛びましたが立体最小限住居のモダンリビングの思想。

しつこいけど団地が登場しまして、それが当時は理想であり憧れの生活スタイルだったんだよなぁ。“近代家族”の特質として、子どもが中心になり、非家族を排除し、ということが語られていたんですが村落的な関係からの脱却って意味が強かったんだろうな。

その後も核家族という概念そのものに変化はないものの、さらに子どもがいない家庭や、単身住居の増加、生活スタイルの多様化が行われ、デュアルリビングなどという第2のリビングが作られむしろ家族内での再結束が重視されてきたり。個々人が家族を通さず、直接外界と接する「自立家族の家/NEXT21」なんて概念もあるのか、時代だねぇ。