「東京鉄道遺産-「鉄道技術の歴史」をめぐる」ブルーバックス、小野田滋

東京鉄道遺産 (ブルーバックス)

東京鉄道遺産 (ブルーバックス)

本を読んでいて特徴的だなぁ、と思ったのが、あくまで建築関係の資料から物を判断されてるのかなー、という辺りでしょうか。品川線の次に豊島線が作られて、と書いてあったんですが、俗称としてすでに山手線の名前があったらしいんですよね。

(計画時点でそう扱ってたらしいということを山手線関係の本で前に。)

コンクリートの材料そのものはすでに煉瓦の隙間を埋めるモルタルとして利用されていること、コンクリートと鉄筋コンクリートとが存在し、トンネル形状が前者と後者で違うこと。大正時代から昭和初期くらいまでかな、当時の施工者がコンクリートの外壁のまま放置することに躊躇いがあったらしいことなどなど。

橋だと東武鉄道の隅田川架橋が特に面白かったんですが、斜めに鉄筋を走らせるトラス橋だと車窓の風景が妨げられるから、とちょうど窓の下までで構造物が終わってるんですね。正直、現在も東武に関東だと比較的珍しい部類の行楽客用の有料特急が走ってることと合わせて考えるとなかなか筋が通ってますよね。当時鉄道省と、関東大震災後の復興局から隅田川公園付近の景観維持を要請されたという側面もあった模様ですが。

 

前にも同じ著者さんの東京駅の本で読んだ総武鉄道の日本初の高架鉄道、橋と同じ作りになっていて落下物や騒音などはまだ対策されていなかった、というより、この時点で気付いたというほうが妥当でしょうか。そして中央停車場(東京駅)と新橋駅間の高架鉄道へと。

そういや甲武鉄道(中央線)と総武鉄道(総武線)を東西で一本につなぐ計画ってあれ、明治時代からあったんですね、知らなかった、ただ実際には山手線が環状運転をしたよりも遅れた昭和7年になり、その前に山手線を高架で越えた池上鉄道が「秋葉原で同じようなことをするよ」と声を掛けてられていたのが興味深かったです、要は中央・総武線よねこれ。