『住まい論’10』#11 集住計画の導入-都市と住まい2

同じテーマで全3回予定で、前の講義の時点で一般的には関東大震災(大正12年)のあと、と思われているけれど少し前からその準備段階が始まっていたよ、というくらいの時代まで含めて扱いまして、この回は戦後に主に展開した、と思われている公営住宅が、実は戦前の段階ですでに準備はされていたんだよ、ということが語られていたように思います。

結局、計画がなければ、なにかことがあっても一気に事態が進展する、ということにはならないのだろうし、やっぱり計画だけでは、急激な変化は起こらない、それに呼応するような時代の情勢が必要なのだろうな、とも思いますね。

 

具体的には田園都市運動(私鉄で一つこの名前の路線ありますが、元ネタとしては同じものですね、田園調布、はちょっと違っちゃったみたいですがw)や欧米から来た近隣住区論、いくつもの住区を用意し、それを複数並べることによって大きな都市を形成する、という話ですね。面白かったのが4つの住区の重なる部分に百貨店や宝石店などのある程度の人口が必要な地区を作れるよ、という話。

車や鉄道などもこの住区の外を通して住環境を守る、その中をさらにいくつかに分離し、それぞれに必要なものを一つずつ置いていく、というのが全体的なアウトライン。

正直、あまり日本では一般的な都市計画としては発展しなかったのかなぁ、とは思うのですが戦前に作られた住宅営団という半官半民の組織が戦後も名前が変わって住宅公団となり応急簡易住宅(越冬住宅)や国庫補助住宅(公営住宅)などの段階を経て、現在良く知られているような団地のスタイルを形成していった、ということのようです。

ところで私の世代だと団地って当たり前の概念なんですが、ひょっとして世代によってはあんまり馴染みなかったりするんでしょうか、ちょっと書いてて怖くなりましたww