『住まい論’10』#15 環境と共生するコミュニティと住宅

この回は地球環境に適合する住居とは要するにどういうものであるか、ということが語られていたんですが、個人的に「オイコス+ロゴス」からエコロジーという言葉が生まれたって言われてもどっからどう変化したのかさっぱりわからなかったんですがw

オイコスというのはギリシャ語で“家”みたいですね、エコノミーも言葉としては兄弟みたいなものらしいんですが、これもさっぱりわからないので私の知識が足りないんだと思いますが、本当に「エ」はどっから来たんだろう…。

 

アメニティの再考と実現、という話では、例えばドームなどで覆い、その空間に対して集中的に冷暖房を行えば効率的なのではないか、というかつての計画を持ち出し、それは本当に効率的なのか、という話をしていたんですが。

自然エネルギーの利用、というと、東日本大震災原発事故ののち、にわかに騒がれるようになってきた発電としてというより、自然光をダイレクトにではなく緩和して取り込み、時に利用して(発電はその一貫として存在していればいいんですよ、あくまで)、風が通るような形の都市にするって、別に荒唐無稽でもなんでもなく、むしろどっちかというと頑なに避けて通ることではないよねぇ。

でも実際、講義でも語られていたように、気候を省みないことが科学的な態度とされていた時期があって、いまだにそういう発想も残ってる。そもそも都市は人間が暮らすのにもっとも適さない過酷な環境だ、という表現は、それなりにこの手の知識がある私も正直驚いたんですが、考えてみれば当然なんだよね。不自然な環境であるとエネルギーがいる。

屋根を付けそこに太陽光発電(温水でもいいし)のパネルを付け、段を付け日陰を減らし効率を上げ、そもそもその地の植生と共存って、別に今の技術なら難しくもないよなぁ。