「碓氷峠の一世紀-運転史から見た横軽間の104年(下」RM LIBRARY-40、三宅俊彦
碓氷峠の一世紀―運転史からみた横軽間の104年〈下〉 (RM LIBRARY(40))
- 作者: 三宅俊彦
- 出版社/メーカー: ネコ・パブリッシング
- 発売日: 2002/11/01
- メディア: 単行本
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そもそもこの本を手に取った動機が中山道(東海道とともに最初期の東西幹線として検討された)の最大の難所だから、という理由だったんですが、あー、下巻まで読んで始めてわかったんですが、これそもそも「運転史」なんですね。
まあアプト式(2本のレールの間に歯みたいなものを噛み合せる方式みたいですね)であるために余所の地との直通が出来ず、車両の使い回しも無理、そのために電化が計画され“粘着式”へと変更されたようです。
この技術も説明されてなかったんですが、車両なんかは余所と共通になってますよね。
ただ、この後、結局横軽間の路線は廃止されることになるので、やっぱり苦労は耐えなかったんだろうなー。実際、どこからどのルートになったかって説明もなかったんだよな、北陸新幹線(長野新幹線は愛称みたいですね、自然発生的に呼ばれるようになったんだってことは説明されてました)の開通とともに、ということでいいのかな。
そもそもこの横軽間に最初の電気機関車が投入されたんですよ、と話も聞いていたんですが、ああ、車両の一覧見てると明治44年ですね。その辺の理由みたいなものをもうちょっと聞いてからだと運転史も興味深く読めたのかもしれないんですが、うーん。
なんというか、もともと有名、というか特異な地域なので他にもぽちぽち本が存在してるのは知ってるんですが、運転史の背景がこれだけ欠けてると、よっぽど年表が頭の中に入ってる人じゃないと難しかったような気がします。
勾配のために車両数に限界があったとか、本数が時代によって増減したりとか特急の区間が変わったとか、戦中にはいささか後回しにされたとか、上越線と信越本線とか、改良計画が全て実行されてたらとか、面白いネタはあったと思うんですが、消化不良だなぁ。