「神奈川県の百年」県民100年史14、高村直助

もともと鉄道関係で、この地域の事情も地元(東京西側)と関係してくるよん、という程度の動機で読み始めたということもあるのですが、とにかく頭に全く入ってこず、せいぜい1章とか2章も読むと集中力が切れる、ということを繰り返していたんですが、要は横浜が主に貿易港として黒船の来襲を受け(そういや現地だな、浦賀だったっけ)開港され。

続いて横浜よりもその周辺域である川崎・鶴見にての京浜工業地帯が形成。

もともと米作農家が弱い地域で、畑作は税の負担が少なかったにも関わらず、政府の近代化により急激に負担が増加しかねない、という変化を受けて小作農の反発が強く、ここの層の人間の流れを工場で吸収することも多くあった、という流れ。

それと、人口増加の多すぎた東京からの流入や、関東大震災のあとにもこちらに人が流れてきていたんですね、石油コンビナート系の爆発炎上に絡んでむしろ東京よりも大きな被害があり、電車電気はともかくも水道の復旧がなかなかなされなかった、という説明はされていたのですが、それでも東京よりはマシだったってことなのかなぁ。

 

そして京浜工業地帯の急激すぎる発展から環境が悪化、工夫らが住居をむしろ東京のほうやさらにその周縁に求めた結果、鉄道が発展。省線(のちの国鉄)の東海道線と京浜電鉄(今の京急ですね)との間で客の奪い合いなどということも行われたのだとか。

東京の歴史なんかを読んでいると、それぞれの地域でばらばらなものの、ある程度一定の方向性があるように思うのですが、神奈川の場合はどっちかというと全体が一つの目的に向かってるわりには地域ごとの浮き沈みが結構激しいなぁ、という印象。

そしてこの地での公害はある意味でもっともその繁栄の恩恵も受けている土地だからか極端に軽んじられていたような気もするなぁ、なんかいろいろお疲れさまです。