『八重の桜』#37 過激な転校生

“熊本バンド”と呼ばれる転校生たちにひたすらムカつくのが正しい回だったのではないかと思うのですが(いやだって演出上、下手すると新島さんが集めた寄付金でご飯食べてるかもしれないんだよなぁ、彼ら)、あれが史実だった可能性は高いかなって個人的には思ってます、大雑把に言うと徳富蘇峰らしきのがいたからですが。

彼なんかが語ってるとしたら、ぶっちゃけまあ客観的だろうなー、というか。

 

なんというのかな、あの言動自体はわりと納得が行くものはあるんですよね、時代を先取りしたカソリック教徒という立場で、高い教育はあるけれど、熊本って結局武士気質で高慢っていうか、多分ただただ「施しは受けたくない」というのが元の発想だったんじゃないのかなぁと、だから逆に、同志社の側もそれで強く出られなかった。

で、ただ、やっぱり子どもなんですよね、あそこまでの態度をあれだけ弱い立場(土下座して受け入れて貰えた立場)で取っても許されるということは、自分たちの価値がそれだけ高いんじゃないかと勘違いしてしまったってのはいかにもありそうな気もします。

それだけの自信がなければ、自分たちが退学する、という条件で学長への退陣要求なんてものは突きつけないと思うんですよね。許可も寄付もあくまで新島氏の名義のものだということがわかっていないほどに馬鹿だとはさすがに考えにくい。

ということは、彼らが自信満々で突きつけた要求に対して(そして一部はただの迷惑だと自覚しているわけですが)、どんな人間でも受け入れる絶対に追い出すことはしない、という新島襄の言葉は、全くの思惑外ではあったんだろうなー、と薄ぼんやりと。

どっかでざくっと追い出せよ!! と叫んだであろう人が多数派で、別にそんなに間違ってはなくて、凡人なんだろうなと同じく凡人の身としては思いますw