「都市と娯楽-開港期~1930年代」首都圏史叢書5、奥須磨子/羽田博昭

章タイトルになっていた京王が目当てで借りたのですが(他に目蒲・東横の東急系と大師・穴守の京急系の路線の話、免許乱立補助金、経営難航って感じで面白かったんですが、微妙に主題と合ってないよね?)、まああれだ、よく土地の資料とかでも出てくる「ど真ん中に京王閣ぼーん!」というど派手な沿線地図だ。

ただ、それ以前に沿線全体を均等の比重で描いた地図をたった3年前に出していて、その3年後にはまた京王閣メインで改定してたのは知りませんでした。富士山や海は見えないよなぁ、と言われてましたが気にすんな、前に中央線関係の展示物になってたよww

で、その分析が京王御陵線(半分まで今の京王高尾線と共通)や八王子までの全通がなったばかりなので、路線の側の都市化が強調されている、というものだったんですが納得。宅地化がまだ微妙だったって判断で私もいいと思う。

とはいえ、その分析を信じればこそ、たった3年で「もう都市化強調いいや、行楽」と投げたようにしか思えなかったんですがそれを理論展開に盛り込んでくれなかったのは残念でした、電車好調、バスや電燈が成長率著しく、だが不動産は昭和4年から下降線で、じゃなくてその時期は昭和恐慌です、他分野の上昇線がおかしいんだよ余所の会社見よう?!

なんかおかしいって感じてるらしいんですが、貧乏主張の激しい会社なので騙されててなんか残念でした。神奈川系の鉄道の本は参考にしてたけど多摩系のは読んでないなこれ。

 

あとは内地で健全化された民営競馬、ハルビンで展開してた官営競馬(鬼ほど稼いだらしい)、各私鉄が中心になり、百貨店なども後押ししたらしい郊外地行楽の話も載ってたんですが、残念ながら役者とか寄席なんかは経営に関してで都市化に言及至らず、という全体的な印象、そう言ってたけど“娯楽に関して”の研究が黎明期なんだろうね、まだ。