「新宿駅が二つあった頃」阿坂卯一郎

かつて新宿駅は甲州街道口と青梅街道口と二つあったんだよね、というのは時々聞くものの、山手線がまだいまいち山手線と呼ばれておらず(中央線は中央線と呼ばれてる、山手線はどうも「省線」、のちの「国鉄」呼びの前身みたいなもん)、山手線で甲州街道口に行って、青梅街道口まで行くための中央線を待つ、という言葉にするとそこまでわかりくくもないはずの状況がよく想像出来ない。

(そもそも私は地元民なので青梅街道も甲州街道も聞きなれてるのですが、まあなんというか元街道です、西から来て新宿駅の東口のほうで合流してるからJR路線と交差する辺りだとちょっと離れてる、だいたい西口から東口へのルートとして通ってると思う。)

で、これが関東大震災を契機に一つの駅にまとめられることになったものの、この工事に3年ほどを要したのでリアルタイムで学校に通ってた著者さんには歯がゆかっただろうなぁw

あと周辺には西武鉄道とか、砂利電とも呼ばれていた京王電車とかあってね、という説明がちらほら出てくるのですが正直その手の話はあんまり時系列通りになっていないので、ある程度詳しい人じゃないとちょっと混乱しそうな気もしますね。

本の最後でちょっと詳しく語られてた伊勢丹の顛末もあれ、関東大震災からの数年の出来事として語られているので、そもそも関東大震災で始まって著者さんが学校行ったりアルバイトしたり反社会運動に関わり掛けたり玉川学園出版部? に就職したりという歴史を挟んで行ったりきたりしてる風情、結構それぞれの内容は面白いんですけどね。

 

とはいえこれはあくまで著者さんの歴史とか時代の空気に触れるために読むものだという気もするので、地域の状況を知りたいな、という人間はちょっとお呼びでないかなw

なんていうか、世界が狭いんだよね、でも世に出たいって願望はあるんだ、不思議。