『美の壺』選・なつかしの商店建築

商店建築の中で関東大震災(大正12年)ののちに一時的に隆盛したんだよー、という和風建築の表側、店の正面だけに西洋建築を模した看板のような前面を配した「看板建築」というちょっと独特の建築様式の番組だったんですが。

(言葉で表現するのが難しいんですが、正面から見ると西洋建築、中は普通の和風建築というちょっと映画のセットみたいな不思議な作りですね、でもトータルで見てそんなにおかしくないんだよなー、だからこそ今の時代まで残ってるんだと思いますが。)

 

これ、震災後に人が来て町を作った西側(新宿が代表格なんですが)のウチの近くにはないんですよね、時期的には復旧とそれほど時代も違わないはずなのになんでかなぁ、ということを考えていたんですが、多分これは前に八王子の地域番組で見たことのある“間口税”のある時代の、店の入り口部分の広さに応じて税が変わるため、なるべく細く長い店を作ったったということが関係してるんじゃないのかなーと。

要するに細長く、その奥に自宅なども含めて形成されている昔の商店建築と、西洋建築との融合のようなものなのではなかったのかと思ったんですが、どうだろう。

それとこの時代は、なんでもやっと銀行や商社や行政機関で本当の西洋建築様式が取り入れられるようになって、その余波が庶民にまで及んだんだよ、ということが言われてまして、まあもちろん和風建築だからって西洋建築より劣ってるとかそういう表現するわけでもないんですが、それ以前の見よう見まね、和風と洋式とのちゃんぽんだった西洋建築をこの時代にようやっと完全な技術として取り入れることが出来るようになったんだよ、と言われるとそれはそれで一つの立派な進歩だよね。

看板建築自体は一種の過渡期の仇花なんでしょうが、たまにはこういうのもいいよな。