「中央線がなかったら見えてくる東京の古層」陣内秀信/三浦展・他

大雑把にこの本で出てくるのは新宿以西の話なので、まあ今は23区内も含まれてるけど歴史的には“多摩”の話かな、という気が。で、大雑把に府中辺りまでが扱われてます、府中自体は京王線のイメージがあるでしょうが(まあそれ以前に、「府中」を知ってる時点で京王線に馴染みがあると思いますが)、かつて武蔵国の中心が府中で、国分寺の辺りまで道がつながってたんだよー、というのはたまに聞く話だよね。

うんまあ、それも含めて近隣の人に限られる気がするけど、ええと、国分寺も府中も昔の武蔵国の行政の中心、ということになるようです(んでついでに言うと、武蔵府中と武蔵国分寺なんだよね、これ、ちょっとだけお隣の相模国分寺の話出てましたね)。

武蔵国というのはなんだろう、と言われると律令制の頃からの行政単位で、今の東京都と埼玉県をくっ付けたくらいの結構広い地域です、現在の市街地は江戸の頃までは湿地だし! ちなみに武蔵野というのはなにかというとこの辺の通称だったみたいです、旅人が自然にそう呼び出したらしいので、要するに野原だったんじゃないかな、と別の本で言われてましたがw

 

ところで中央線がもとは甲武鉄道と言われる私鉄で、甲州街道を通るはずだったよ、というのは今ではわりときっぱり否定されてますよね。鉄道忌避伝説っていうとまずこの話出てくるからな、ただ京王線はそう言い張って開通したそうなので誤解で百年の年季っていう。

府中に今もある大國主神社というのがもともとこの近隣では断トツに古く、言い伝えでは1900年なんですがそもそも起源が判明しない程度には昔ということは間違いなく、国分寺(本来府中とセットで武蔵国の中心地だったそうで)は廃れてしまったので現在発掘中と聞いたのですが、確かその時点でいつ埋まったのかわかってなかった気がする。

ただこれ、意外と周辺の人間知ってるんだよなぁ、わりに読みやすいかとは思います。