「地形を楽しむ東京「暗渠」散歩」本田創/編著

扱われていた土地がどちらかというと東京の西側が多いなぁ、ということを考えていたのだけれども、東側は確か明治期に入ってからの荒川放水路を初めとした「瀬替え」(江戸時代の用語なんですがわかりやすいもので)が行われていて、こちらとはちょっと事情が違うのかなぁ、とも。渋谷区民として、名前を聞くのは渋谷川(氾濫注意と言われた時びっくりしました、どぶ川だよ?!)とかつてこの地を流れていた玉川上水くらい。

あと、もともと水道道路と呼ばれてる道路が何本かあるので、暗渠という言葉はわりと最近聞いたものの、どんなものであるのかというイメージはわりと昔からあったような気もしますね、まあそれこそこの本でも何度も出てきてたんですけどね。

(あんまり触れると家の場所までバレるレベルで何度も周辺掠めて行きましたw)

基本的にはこの近辺の川は高度経済成長期、もう少し細かく言うと東京オリンピックの前後くらいから膨大な人口の増加を経てインフラ整備が追いつかず、特に下水などの不備によって川の汚染が酷く、今となるといまいちピンと来ない話ですがそれこそ川を埋め立てることが環境美化そのものだった時代なんてのを経てるんですよね。

この辺は前に読んだ多摩川汚染の本なんかの事情と合わせたほうがわかりやすいかも。

 

その跡地は、それぞれ緑道や公園、住宅や道路などの様々な使われ方をしていて、ところによっては蓋はされたものの橋の欄干が残っていたりと千差万別。

私の住んでる土地がやたらと出てきたのも、多分これ、渋谷区の方針で欄干がかなりの数残ってることによるのではないかと思います。うん、なんかよくありますね。あと、商店街にもかつての橋の名前が付いていたりします、知ったの最近ですけどね。

東京スリバチの本や凸凹本など、多分ブームなんだと思いますが、歓迎したいなぁw