『明治大正図誌9 東海道』

大判の、モノクロ写真を主にした本で、1~3巻が東京、他にも大阪や京都などがある関係上、関東西部+東海、といった風情の本かな。地域以外だと中央道、日本海、瀬戸内などもシリーズにありますね。

で、この本を読むまで特に認識したことはなかったんですが、15代将軍の徳川慶喜が静岡の辺りに引退していて、名古屋の辺りが尾張徳川家の影響範囲、ということは、東海道って正直徳川のカラーが強い道ってことになるんじゃないかと思われるんですが。

鉄道初期の頃、東海道ルートではなく中仙道ルートでの東西幹線の建設を、ということを軍部が主張していたっての、ひょっとしてそういうニュアンスもあったんでしょうかね? あとの時代になると当然地域色は薄れるものの、この頃はまだほとんど藩兵(しかも薩長だよね、流れからして)がスライドしてたような存在だったはずだしなぁ。

まあ、物の説明によると海岸線ルートだと敵襲に弱いからって内容ではあるんですけどね。

(この後の東北線ルートに関しても地域のいざこざちょっとあったらしいし、全くありえないってこともないのかな、と思うのですが、私の知識量だとわかりませんw)

 

結局山がちの中仙道は避けられ、東海道線が作られることになり、東海道線沿いの静岡の地は農産物を中部の地では陶磁器を、名古屋に至ると産業重視、とそれ以前の蓄積は失われてしまってとはいえなかなか順調な発展をしていったようですね。

ただ、名古屋の場合は産業から軍需産業へと容易にシフトしてしまい、戦時中には多くの空襲を受けることなってしまったとか、いろんな曲折があるんですね。

ところで箱根や熱海などの別荘地まではともかく、静岡以西は中央は無関心だったって本当なんですかね? それ、別荘地だからなのかなぁ、ちょっとしっくり来ないんだけどw