「三井財閥史〈大正・昭和編〉」教育社歴史新書 日本史125、栂井義雄

三井財閥がなぜ日本一の規模になったのか、というと、確かにそれこそ江戸時代に関しては先進的な存在だったとは思うんですが(現金掛け値なしとか庶民にも購入可能にしたとかね)、なんだろ、あとはひたすら「生き残っただけ」というか、そもそも政商として利用された最初の時点で偶然生き残ってむしろ同業他社がいないことでその規模を拡充し。

(大雑把に三菱なんかはこのあとに登場したわけですね、鴻池って、同名のところがあるけど、同一存在なんだかそうでないんだかがわからん、近代初期に潰れてたね。)

多分なんですが、その後はわりと積極的に生き残りを図っていたんじゃないのかなぁ、というのが今の時点での雑感ですかも。

前の「近世・明治編」での三井一族には財産そのものに関与することを不可能にしてたりとかも、あるいはその一環なのかなぁ、という気もしますしね。

三井商会が戦前、ある社長から2代に渡って業績が最悪にまでなったことがあった、ということが語られていて、あらあら、と思ったんですが、先の社長がひたすら三井の印象を良くしようと各種献金をしまくり、次の社長は戦時統制で重税を掛けられた三井一族のための税金を負担してたので…そうか、あくまでそれも役割分担なんですねこれも。

 

わりとなりふり構わぬ献金に、暗殺されないために三井一族を徹底して重役から外し、という一連の行動は、それだけを見てるとそこまで印象がいいわけではないんですが、歴代の番頭たちがずっと連綿と三井を守り、三井一族を守り、と徹底している姿を見てるとそこまで悪いものにも思えない。

結局戦争責任の一旦を負わされて解体されてしまうんですが、確かに否めないかも、と言われてました。保身にちょっと熱中しすぎたかなぁ、解体以降もちょっと気になるなこれ。