「日本の近代建築(上 幕末・明治篇」藤森照信

日本の近代建築〈上 幕末・明治篇〉 (岩波新書)

日本の近代建築〈上 幕末・明治篇〉 (岩波新書)

 

 

ドイツ系のエンデ&ベックマンに関しては鉄道関係の資料で見かけた覚えもあるものの、正直普通に聞いていた、と言えるのはジョサイア・コンドルとその弟子の辰野金吾くらい、ある程度の様式は建物なり見たこともあるんですが、偽洋式に関してはさすがに本の中では全滅だったなぁ、どこかしらには残っていそうなんですけどねー。
うーん、小学校と区役所の類だと微妙かなぁ、時期的にはさすがに本当に近代初期のものなので、ある程度は記念碑的に残されてる可能性もある気はするんですけどね。
横浜やら北海道やらの洋式の建築様式を「見よう見真似」にうろ覚えで再現していく、という偽洋式が、そもそも江戸の後期のどんどんと派手になっていく建築様式と技術的にはそこまで乖離したものではなかった、と言われると納得。
その後、建物のスタイルとしてはなんでもござれな山師な方がイギリスから呼び寄せられ、一頻り作られたのちに、デザインがいまいちだった、とお払い箱にし、さらに日本に文化的な興味を抱いていたというジョサイア・コンドル氏が教育者として招聘されまして。
(鉄道お抱えのモレル氏に似てる、めっちゃ似てる、過労死しなくて良かった!!)
で、そっからイギリス式が展開、ドイツ式が一時期頑張ったものの、新しい人材としてはイギリス系が圧倒的、という時代までで明治は終了。ところでフランス式の方らがほとんど偶然のお二方しかいないんですが(お雇い外国人がいない理由はなんとなく知ってる、植民地にも行きたがらないんだフランス人、自国がいいんだやつら)、ものすごく美しいです、赤坂離宮明治天皇に認められてたらなぁ…迎賓館として使えば良かったのに。

 

そしてデザインとしては、実はどれもこれも微妙だったらしいんですが、そもそも欧米だとそこが分業なのか…。ああうん、強度じゃなくてデザインが犠牲になって良かったね。