『東京人』2012年07月号「差の湯を愛した富豪たち」

直接この特集を手に取った動機は、この本の中でも語られていた三井記念美術館で開催されていた茶道具の展示を見に行ったことなんですが(私はどちらかというと名品でもそうでないものもずらっと並んでるほうが好きです、正直名品「だけ」だと流れがよくわからなくて感動みたいなものがない)、近代産業界関係の本を読んでいる関係上、おお、こんな人物も、という横のつながりが出てきたのは面白かったですね。

ただやっぱり個人的には戦国武将が自分の権威を、明治の産業人が自分の財力を見せ付ける形式になってしまっているなぁ、というのは否めない部分があって。

けど、実際はちっちゃな茶室に入ってしまうとそこからは権威も政治も失われてしまうんですよね、だから政治の道具とされることはなくなったし、実は茶の湯に熱中した財界人たちが求めていたのは本当の意味での安らぎだったんだろうなぁと思えるし。

そのことが今までほとんど知られてなかったのは、なんか惜しいよね。

個人的には関西で誰がそこにいてもいい茶会が開かれていた、という形式のほうが主流であって欲しかったです、そもそも私は関東のほうの茶人たちをぽつぽつとは知っているものの、知られてないんですよね、あんまり(鉄道なら鉄道、電気なら電気の人だけが知ってる)。関西の茶人たちのほうがむしろ、あまり明確な印象ではないものの知られていることが多い。

それはやっぱり、当時から外に開かれていたのかどうかの違いなんじゃないかなぁ。

 

そもそもあれなんですよね、完璧でないものがいいとか砕いて使うだヒビがいいとか、茶入れがやたらと膨大な価格になってたり、感性の領域はまあいいんですが、そこに財界人がぽーんと金出すってエピソードの組み合わせが一見美しくないよ素人にはわからんww

もうちょっと身近なら、ちょっと興味あるって人も結構いる気がするんですけどね。