「国府-その変遷を主にして」教育社歴史新書 日本史44、木下良

そもそも東京都がかつて埼玉県と神奈川県の一部をなしていた「武蔵国」という地域だったことは地名や企業名などにも残るし薄らとは知っているものの、その国がどういう統治体制だったのか、と聞かれて概略でも説明出来る人は歴史趣味の中であっても少ないだろうし、国府や府中など、やっぱり地名が残ってる地域があることはわかるものの、それが国のトップ機関だった、以上のことがやっぱり言えない。
この一つ前に読んでいた古代道路の話になると、中央政権から使いが来て、道ごとに必ず各国に寄っていた、ということまでがはっきりしていて、しかしそれがいつからいつまでとか、そもそも中央政権ってどこよ、ということすら曖昧っていうか、複数の時代に跨っているんですよね…。九州の国が太宰府を中心にした統一地方自治を行っていた他は、道ごとに国を別けていても特に共同統治が行われていたわけではないだとか。
国府と府中、時期によっては国衙と呼ばれたりする「それ」が、多分同じ意味だろうとは思われるもののひょっとしたら微妙な差異があるかもしれないと言われるともうw

ところで私、そもそも東京都府中市への興味からこの辺の本を読み出したんですが、普通は国府と関係するのって他は寺なんですね?(武蔵国分寺は別個にあるけど、確か私が読んだ本だと廃れた時期から不明という、かなりアレな展開でした)
なんで武蔵府中だけ大國魂神社なのかな、と思ったものの、特に説明はありませんでした、というかかなりよく古来の伝統を残しているわりにその意味がすっぽ抜けてんだなー。武蔵国府も神社の近くにあることは間違いなかったものの、どこだか最近までわからなかったのかww
他のも記録に残っていても出土してるとも限らず、移転していたり移転計画が潰れたりとか、どうもまとまった資料がないんだな。偶然記録に残るか地名に残るしかないんだなぁ。