「小田急-車両と駅の60年」吉川文夫・編

昭和62年刊行、で、ネット書店(記録用に使っている読書メーターがアマゾンのデータと連動してるので)にデータが存在してないのは大正出版だからかなぁ、たまにないんだよねここの本。ええと、車両に関しては正直普通の本だと思います、吉川文夫氏だったのでちょっと期待してたんだけど、そうか、執筆は何人かで担当してたのね。
とりあえず別の本で見た戦時被災から逃れた井の頭線の車両が小田急にいた理由はわかりました、小田急へと余剰車両の返還がされた時にそれにしたのか(車両が戻った理由そのものは応援車両が増えすぎて被災前より多くなったからだそうですがw)。正直、「お礼じゃないのかな」と言われてたんですが一種の験担ぎみたいな物だったのかもしれないね、2車両のみが焼け残ったうちの1車両だからなぁ。
(しかしやっぱり使いにくかったらしくていろいろ苦労してますが。)

戦時中の国鉄中央線(まあ当時は「省線」ですが)との連絡線に関してはまとめられたもので読んだのは初めてですかも、やっぱり青梅線から井の頭線に入線してた木造の応援車両ってこの連絡線から来てたのか。南武線ともつながっていたみたいなんですが、そっちはそういう用途では使ってる様子がないんだよなぁ、ちょっと不思議。
この本の中では実現するだろうか、と言われているロマンスカー御殿場線への乗り入れはその後実現してますね。というか私、SE車の登場時期をちょっと勘違いしてたっぽいけど、昭和30年入ってからなのか、ちょうど復興期が一段落付いた頃か。
SE車以前の初期の特急は今のロマンスカーのイメージというより、ハイキング特急なんかと近いのかもなぁ。しかしSE車が3000系って言われたので混乱しました、9000系より8000系のがあとなのも地味にややこしいしw