「応仁・文明の乱」戦争の日本史9、石田晴男

とりあえず半分すぎても「応仁の乱」が始まらなかったことにはいささか異論があるんですが、むしろこの本では唯一なにやってたかわかって良かったよ、畠山政長(ごめんなんかこの人のほうが事情すっきりしてて贔屓したくなる、ところで係累の説明がされていないように見えたんですが改名かなんかしたのか)と畠山義就の両軍に、だいたいいつもはつるんでる細川と山名が別れて参戦したのがこの戦ってことでいいよね。
で、その後敗退した畠山政長がなぜか足利将軍のために出陣してたのが「文明の乱」だと思うんだ違うかもしれないけど、ところで諸事情でこの人の行動以外全然捕捉出来てなくてすみません、ただ、この人周りだけちょっと雰囲気違うよね?!

で、なんだか細川と山名の数年程度の争いに関してを「猿と犬との争い」として誇張しようとしていたとかなんとか書かれていたんですが、ええと『応仁記』の立場がそれってことかな、細川高国に近い立場の人が書いたんじゃないかと推測されていたんですが、そういや私畠山家のことだけ追ってたけど、斯波家も家督争いしてたし(確かなんか前後してわらわらと起こってた)、時の室町将軍である足利義政の弟・義視と日野富子有する子・義尚との間でも続けて後継者争いが起こって、たかなぁ?
ところで文明の乱ってなに、というかどの辺、いや待て、将軍候補の弟・義視が逃げ出して「西軍」に合流(畠山長政&山名、かな?)、で、この流れが『応仁記』に書かれてないのか。で、この義視が結局将軍にはなっていないものの権力の座に着き、細川とは対立していたのでこの義視vs細川の流れを隠そうと小細工があったんじゃないかって? ごめんもう無理!!
…私ちょっとした理由で畠山長政を中心に読んでいたんですが、ひょっとしてこれ実際、この人を視点に書き直したほうがわかりやすいんじゃないかなぁ。