「金・銀・銅の日本史」村上隆

金・銀・銅の日本史 (岩波新書)

金・銀・銅の日本史 (岩波新書)

 

 

図書館に並んでいたので手に取って(正直教養に類する本という単位では全く知識がない人であっても読めるという意味では大当たりなんじゃないかな、研究途上で結論がない内容ですが現実につながってる体裁)、非常に個人的には「鉄の歴史」というものを読みたかったのですが、精鉄の歴史はこの「金・銀・銅」のあとに位置すると考えたらばいいのか。
この三つの金属に関してはもともと不可分というか、合金が非常に一般的、もともと一緒に産出されることもあって、まず分離して合金の比率を変えるところから技術全般が始まるということになるのかなぁ、性質が違って来るんですよね。
金銀銅以外で合金として含まれるのは主に錫とアマルガムくらいだったかな?
(他に砒素、鉛、亜鉛ビスマスなどが上がっていたものの含有量が多いと食器には使えないものなのかな、鉛が使われていた皿への言及はちょっとありましたね。)
銅にスズを加えると青銅になる、というところまでは知っているものの、スズの比率が多くなると白味掛かってくるので白銅と呼ばれる、実際の組成としては同じなんだけどね、という話は面白いながら、ちょっと科学の方向に入っちゃってるのかな。
金のみが同じ色を保ち、だがしかし合金の中にはかつて金色をして遜色のないものもあっただろう、だとか、江戸の金座が金貨の金含有量を減らして行く中で「金色に見せるため」の技術を駆使したのだとか。

これら金属は基本的に貨幣の歴史とも不可分だったのですが、銅貨の質がどれほど悪くなっても使用するべし、という命令のあとに日本で貨幣そのものが流通しなくなり、明からの輸入貨幣で再開というのは果たしてその命令と無関係だったのか、とつい。
人間の自意識と共にある物だな、私も名古屋城シャチホコは好きです。逞しいんだ。