「住友財閥史」教育社歴史新書 日本史128、作道洋太郎

近世の頃の鉱山というのは基本的に技術が限られていて、近くの木材を切り出し終わってしまったり(でも日本以外だと文明そのものの崩壊の原因になってたりするからまだいいほうだよ)、奥に行けば行くほど坑道が狭くなっていき、良質の鉱脈からでないと精錬する技術もない、などの理由でどうしても限界があったのですが。
その技術の切り替えも近代に入ってそうそうスムーズに行ったというわけでもなく、まず大資本でもないとなかなか上手く行かなかったんだよ、ということは聞いていたんですが、この別紙鉱山=住友家ってのはその代表格なんじゃないのかなぁ。
銀行業とかビル管理とか、電力会社なんてのも作ってはいるものの、三井・三菱ではかなり大きな領域を占めていた貿易商社は存在せず、どうもあくまで中核である鉱山を支えるための組織だった、ということのようですね。
財閥というものを語る時に、規模で言うと日本三大としての地位は十分あるものの、この商社の欠如によって財閥としての条件が全部揃ってるわけでもないよ、と言われてることも見たことがありますね。
とはいえ、そうやって得意業態に手堅く絞っていたからこその規模って気もしますが。
財閥史の本などでは三井との関係がぽちぽち語られていることもあるんですが、その手の話はこの本ではあんまり出てこなかったかな。ちょっとニュアンスわからないんだよね。
(現代に至るまでそんな感じなので、特に勘違いでもないとは思うんだけど。)

住友、もしくは屋号としては泉屋ってのがこの家の名乗りらしいんですが、泉屋がどこから来たのかは微妙に謎なのかな? 戦後の白水会ってのはたまに名前見るよね。
まあやっぱり幕末明治初期に別紙鉱山を明治政府から取り戻せたのが全てなのかしら。