「第二次大戦と三菱財閥」三島康雄・編

正直このタイトルを見て、三菱当主(4代目の岩崎小弥太と、3代目の久弥も引退したけど生きてるし)などの去就について語られるのかな? と考えていたんですが、事実上昭和2年の段階で大病して、それ以降、事実上の本社である三菱合資の体制も微妙に上手く行ってなかったらしい、という方向に語られていたのは意外でした。
ていうか、三菱重工業が三菱造船と三菱航空機を一緒にしたものってのは知っていたんですが(陸軍からも海軍からも異論があったとか、ああまあわかる)、さすがに大きすぎておかしくなってたのか、この前後に株式公開してるんですが、表立って争っているというわけではないので、あくまで組織の流れから推測いくしかないようなんですけどね。
多分それだから、横浜船渠、東京鋼材、日本アルミニウムなどの三菱の外から昭和初期から戦中に掛けて三菱に編入したところが語られていたんじゃないでしょうか。
周辺でも外部だから意図の類がぽちぽち語られてるしな。

途中まで読んでいた時点では正直なんでそんな周縁重視の構成になっていたのかがわからなかったんですけどねw まあ個人的に三菱内の資本の流れには興味あったので面白かったです、三菱合資の相対的な影響力が薄れ、三菱銀行や三菱信託などの連合の組織が作られていたのも象徴的といえば象徴的。
唯一の直営部門だった三菱地所を本社から切り離したのは大きな出来事だとは思ってなかったんですが、三菱合資が完全にただの持ち株会社になってしまった、という捉えられ方をしていて、三菱当主の影響力の低下と見られていたらしいとか。
なんとなく三菱地所三菱銀行に気安かったのは同じ派閥だったからなのかな?
しかし、この時代気になるなぁ、この角度からだと三菱重工の意向わからんのね。