「鎌倉新仏教の誕生-勧進・穢れ・破戒の中世」松尾剛次

 

大雑把に鎌倉時代において国家管理下にあった僧侶の中から流れを外れた「黒衣の僧侶」という存在が現れ、彼らは穢れである死に積極的に関わっていた、ということが主に語られていたように思うんですが。
要するに庶民の弔いに関わるかどうか、ということだと思うんだよね、死を穢れとするのは一体の期間が限られたものではあるとはいえ、町中にいればそれこそ葬儀が珍しかったわけがないから、結局のところそれ以前の時代は限られた上層の人間でなければ宗教の恩恵は受けられなかった、と解釈するのが自然なんじゃないのかなぁ。
この黒衣の僧侶らの中には、一部には公の場所や位の高い場所にも出入りすることを理屈を付けて勝ち取っていったような存在もいたり、それを試みて失敗する僧侶らもいたり、といろいろ、でもそれでその行動を変えることはなかったのだとか。
あとの時代のことを考えるとこの黒衣の僧侶がむしろ仏教の主流になるのかなぁ。

んで、あとはこの時代に始めて語られ始めた女人救済に関してなんですが、これ別の本でも時々読むんですが、日本には女性が全ての罪の源泉であって救われようのない穢れた存在である、という教えがあるものの本来の仏教にそんなものがない。
中国に来ると修行の場からの女性の排除は確かにあるものの、でも特定の場からの物理的なものであって女性の存在の否定じゃない。
その上、日本にも理論的には「女人往生」が語られてたと聞いてのけぞってしまったんですが、あとそもそも律令制の頃の国分寺でも対の尼寺作られてるよね? で、この時代には女人救済に黒衣の僧侶が関わることになった、と…。
そうなると女性の原罪論ってどこから来たのよ、本で触れられてた密教でもないよ。