「明治裏面史(下」伊藤痴遊

まあすごく大雑把に征韓論争から始まって(大雑把に西郷隆盛さんの下野ですが、ぶっちゃけ維新3傑の中でもどっからどう見ても一番人望あるとしか言い様がない…)、西南戦争に至るまでの各地方での不平士族の扇動みたいな感じかなぁと。
身も蓋もないんですが結論から言うと「反乱としては政府転覆がなされてないから目的達成されていない」ということになるんですが、これ明らかに全部連動してたら明治政府なんか一たまりもなかっただろうな、と思いますし。
しかし、だいたいの人たちがそんなことは望んでなかったんですよね。
ていうかそもそも旧幕府から明治政府に引き継いだ時点で空前絶後の人手不足に陥ったので、地方でぐだぐだと出仕適わなかった系の人でもない限りさすがに「さらに人を減らす」ことを望んでいたわけでもないというか。
実際、この西南戦争までの展開で少しは風通し良くなったんでしょうか。
薩長(土肥)のみの支配だったというイメージに反して、とか言われてるけど、実際どう考えても人足りないのに身内で蹴り落とし合ってたら人材他所に求めるわな…。
井上馨氏と木戸孝允さんが関わったと言われていたことは、正直、そこまで稚拙な手を使うんだろうかという意味で疑わしい内容ではあったんですが、だがしかし刑罰で首晒したとかたらい回しにした、というのはまあ、実際あったんだろうね。
そしてこれをやってると相当に性格が…陰険としか言い様がないんだよね。

佐賀、長州、熊本の神風連それぞれの反乱、都内での会津藩士の関わった事件、とが語られていたんですが、しかしマリア・ルス事件は人権擁護の側だし、これと平行して徴兵令に帯刀の禁止、議会の制定って進んでいくんだよなぁ、歴史って不思議だ。