「刀狩り-武器を封印した民衆」藤木久志

そういえば昔、鉄道の歴史を読んでいた時に鉄道の測量に二本差し(刀と脇差、武士身分であるという証明なので外して歩くと問題だったそうですよ)で来るので、頼むから邪魔だからなんとかしてくれ、ということで廃刀令が出されたというのは聞いたことがあったんですが、この鉄道前後に決まったことってだいたいその文脈が語られていないので、まあこの本でも出てこなかったのは仕方ないような気もするのですが。
さすがに戦時中の金属供出に関して触れられてないのはなんとも…。

そもそもこの本は主に豊臣秀吉の時代の「刀狩り」に関して主に語られていたんですが、どうもそのせいで武器を持たない無辜な民衆像という思い込みが出来てしまったのではないか、という本文を読みながら考えていたんですが。
どうも私にはその前提のほうが共有出来ていないみたい、です、多分これ、昔から民衆の生活史に関してだけは時代に拘らずにあれこれ読んでいたせいじゃないのかなぁ。
さすがに太刀を持っていたら「持ってんの?!」と思うんですけども、刃物持ってるのは当たり前というか、いや本当に、当たり前に持ってるって読んでるからなんとも。
とはいえ、刀狩りが何度も何度も文面を変えて繰り返し発令された、というところから実際には徹底されていなかったのではないか、そもそも本数を集めることが主題であって武装解除というところまではとても画策することは出来なかったのではないか、名刀の類を買い上げたという件が別に記録されているところを見ると、ある意味で別口だったんじゃないのかなぁ、とか考えながら読んでいる感じでした。
てか、読んでる限りではいわゆる太閤検地とも関係あるんじゃないのかなぁ。
この人ちょっと切り口変えてこの辺扱ってないですかね、面白いんだけども。