「大友宗麟の戦国都市・豊後府内」遺跡を学ぶ056、玉永光洋/坂本嘉弘

大友宗麟の戦国都市・豊後府内 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

大友宗麟の戦国都市・豊後府内 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

この本の中に出土品として出てきていたメダイというものをよく知らなかったので検索してみたんですが、フランスが由来の「不思議のメダイ」もしくは奇跡のメダイと呼ばれているもので現在はどうもそれほど一般的でもないのかな?
南蛮貿易にイギリスが噛んでいたというのは聞いたことがあるものの、フランスが、ということは特に聞いていないので、これ当時の欧州の流行りかなんかだったのかなぁ、しかしポルトガルやオランダとの貿易でフランスってのはなんだかちょっと不思議。
とはいえまあ、十字架よりもわかりやすくて日本人受けが良かったということになるのかな、当時の日本人女性はしてなかった言われていた指輪は出土してましたけど十字架は確かなかったような気がする。

正直なところ九州で貿易というと大宰府や、その後継である博多などを思い出してしまうのですが、大友宗麟の時代? だっけかな、日本から「Bungo(豊後)」を独立させて一つの国として描いた地図もあったらしく、大友家の勢力の大きさというよりは、規模から考えると対外的な窓口になっていて身近だったってことだよな多分。
で、この大友宗麟は有名なキリシタン大名だったらしいんですが、その後の息子の代になると島原の乱からの影響や、そもそも対外貿易で重要な地位にあること、中央を狙おうとせず九州での地位を固めようとした堅実なところが微妙に嫌われたか結構厳しい扱い受けてるなぁ(豊臣とか徳川の治世だと仕方ないのもわかるけどねー)。
まあ、よく考えたらキリシタン大名が貿易扱ったらそりゃ他所のイメージっていうか印象が違うのは当たり前の話ですね? なんか九州で他にもキリシタン大名って聞くような気がするのって偶然や身近にあるからだけでもないのかもなぁ。