「穢れと神国の中世」講談社選書メチエ、片岡耕平

とりあえず「穢れ」というものがなにかというと一番わかりやすかったのが大臣が公務の場で頓死してたんだよ、というのは正直言うと現代人でも問題として共有出来るんじゃないのかなぁ、その場で行事が行われる場合にその開催を一旦は検討するという流れすらありえてもおかしくないと思うんだよね。
が、中を見ていると鳥がなにかを落としていった、犬が少し肉の筋の残った骨を咥えて寺社の境内に、となるともうよくわからない。
挙げ句にその穢れそのものからではなく、なにか問題が起きた時にその原因としての穢れを探すことになり、殺人が起こっていたことが判明したり(実際にあったのかなかったかは正直不明ながらどっちでもおかしくない状態)、どうも穢れがあとから作り出されたということもあったらしい。
そうして権門寺社がその穢れの発生源の役目を引き受け、むしろどうもそのことによって利益を得ていたらしい節がある、ともなると、正直単なる迷信の類とも言い難いよなぁ。

 

そもそもこの時期の天皇がなにをしていたのかというと行事に主に預かり、それが例えば失敗したからといってその責任を誰かが取るにしても真実を追究しても仕方がない、なのでそれを引き受けるシステムがある、と言われると合理的な気すらするよなぁ。
(その引き受けたところが不利益を蒙る仕組みではないわけだしね。)
他にこの寺社の穢れを避けるために広大な領土を要求したとか(出入り禁止地域にしないと無理って理屈ですね)、寺社が非人である「清目」という役目のものを雇っているという話など、清目は地位は高くなさそうだけど裁可の場で必要な文言を述べてる辺りどうも専門技術者っぽくはあるよなぁ、横のつながりはあるのかしら?