「東山道の峠の祭祀・神坂峠遺跡」遺跡を学ぶ044、市澤英利

東山道の峠の祭祀・神坂峠遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 44)

東山道の峠の祭祀・神坂峠遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 44)

 

 

そもそも東山道というのは七道駅路の一つ、律令制の頃に整備されたうちの「中路」らしいんですが(でも大路って中央-大宰府をつないでた山陽道だけだって)、どうもそれ以前にも古東山道と言われている道が存在していたようです。
で、信州(長野県)の難所というと碓氷峠がまず思い起こされるんですが、この本で扱われていたのは神坂峠、で、大雑把に使われなくなったルートみたいですね。
ただ、なにぶんこの七道駅路すらまだはっきりと細かい経路が判明しておらず、まだしも太さが特徴的でどの辺りを通っていたのかは推測出来るものの、それ以前の古道ともなると痕跡見つけるのも一苦労だろうなぁ…。
えーと、この神坂峠につながるルートそのものは文献にも残っており、考古史料に関しての整理も兼ねての依頼があって学者が来てだいたいの当たりを付けたのが大正10年、しかし結局実際に発掘が行われたのは戦後、みたいなことが語られていたんですが、あー、さすがに有名な難所だからそこまで位置を推測するのは難しくもないか。
実際に掘り返してみると確かに東西交通路でもあるものの、土地の住人たちにとっても生活道路として機能していたようです。てか、誰が記述に残したのかってあれか、東国から大宰府まで派遣されてた防人たちか、そういや防人って無名でもよく記録残してるよね、…考えてみればちょっと不思議な気がしてきた。

というかそもそもこの道を作った原動力自体がその地にある神坂神社じゃないかって語られてたっけかな、自信ないんですが、なにぶん険しく、越えるまでに死人が出ることも少なくなかったので減税措置とか、峠越えの前後に独自の祈りの習慣もあったのだとか。
馬育ててたとか、東国の窯が見付かったり、うーん、面白そうだけどやっぱり途中だ。