「アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る」溝口睦子

アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る (岩波新書)

アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る (岩波新書)

 

 

大雑把にもともとタカミムスヒという太陽神が存在していて(ムスヒを「魂」と書くこともあるそうです、タマと読むこともムスヒと読むこともあってややこしいよね、と著者さんも)(系統が別の地位の名前かなにかかなぁ?)、そのタカミムスヒが女神であるアマテラス神に語りかえられていったのではないか、という主題の本。
で、このアマテラス神がもともと皇祖神となる前はなんだったのか、というとヒルメ、オオヒルメと呼ばれる「太陽おばさん」みたいな…名前からすると民間信仰っぽいよね?
(んで、神話の親和性から考えると大地母神に近い存在なんじゃないかなぁ。)
(大陸中国では日と月がごっちゃなんだよね、と珍しいことして説明されていたんですが、日本にはちょっと太陽神が恵みの神に近い扱いされてるように思うんだよね、皇祖神である太陽神アマテラスさんも結局そういう豊穣の女神を従えていくというか。)
タカミムスヒは外来の主神みたいな存在ですね、要は神話そのものが取り込まれてる。

そもそも『日本書紀』と『古事記』によって神話の系統の書き換えが行われた、ということは昔から聞いていたものの、律令制の成り立ちつつある7世紀の日本、文化の成熟した社会でそんなことは可能だったのだろうか、と言われるとむしろそういう視点は初めて聞いたんですが、そもそも当時の神話がそれぞれの祖先神の権威のぶつけ合いだとすると、他の強い神の取り込みなんてのも案外珍しいことでもなかったんじゃないのかな、という話になって、要するに全てが政治パフォーマンスになるんですよね。
古事記』は取り込んだ神話体系を全て系統付けていた大胆な内容だったものの、当時の風潮にはあまり馴染まず、『日本書紀』のただ並べた内容のほうが当世向きだったのではないか、と言われてしまうと確かに全部辻褄合ってるよなぁww