「図説 伊勢神宮」松平乘昌

伊勢神宮の本なんですがどういうわけか神宮の外の歴史がめっぽう多く、なんでだろうかと不思議になったんですが、すみません、天皇家の祖神の上、斎宮がいてある程度の時期まで民間人の出入りご法度で完全に運命を共にしていたってことだよね。
で、中世くらいになると北畠氏がこの一帯の伊勢国司としてあったってことでいいのかな、この時期だと「守護職」のほうが優勢だと思うんだけど、その辺はどうも土地によるみたいで結構別れてたみたいだしねー。
鎌倉の有力な家の名前(畠山、土岐、細川、山名)が守護職として複数挙げられてるってことは詳しくは書いてなかったもののその家の間を転々としたってことでいいのかな、だとなおさら支配力はなかろうね。
というより、斎宮がいた時代にも斎宮殿に行政機関である国衙があったみたいに語られていたのを読んだことがあるんですが、基本的に周辺地域と一体になってるってことなのかもね、伊勢神宮って。
北畠氏の滅亡が織田信長の時点で、その後、徳川将軍家が何度もこの地を訪れてるということが語られているのでなんとなくの権力の推移はわかるかな。
ああ、豊臣秀吉時代に山田(ようだ)奉行所というのが作られてるんですが、これが遠国奉行となったと言われてるので一種の自治があったって認識でいいのかな。大雑把に行政と裁判を担当する部署ですね、江戸にも南町奉行あったあれ。

で、「伊勢詣で」が大々的に仕組まれるようになったのも江戸時代か。
鎌倉時代の元の軍勢を追いやった神風がここの風日折宮と外宮の風宮が引き起こしたと言われてるとか、他にもちまちま面白い逸話もあるんだろうな。