「日本の企業家と社会文化事業-大正期のフィランソロピー」川添登/山岡義典

フィランソロピーよりもひょっとしたら日本人には「ノーブレス・オブリュージュ」のほうが馴染みがあるかもしれないくらいなんですが、企業の社会責任みたいな概念で、正直日本の社会に根付いていたことがあったのかな、どうも企業単体の良心に委ねられているような気がしてならないんですが(それよりも前に会計の透明性と人権意識が先だ…)。
ましてや江戸リバイバルと言われた大正期、と思ったものの、なんかむしろこの時期には案外あったみたいです。どっちかというと学術や技術支援団体っぽいんですけどね、あまりにも早い萌芽って言われてましたが、この頃のほうが幾分マシかなぁ、という気も。
前から話だけは聞いていた森村財閥の森村豊明会は森林保護やってたらしいんですが、そこまでは書いてなかったです、前に読んだけどその概念あるんかいなって時期よねww
ここが本当に一種の変わり者みたいなところで、なにしろ技術系の学校で目ぼしい才能見つけると貧乏すんなよ、資金は出すからな、と片っ端から声を掛けて回り、ここの系統の企業は工場の内部に傍目に花畑作ってたみたいに見えてたそうです、桃源郷かおい。
この本ではあくまでトップバッターとしてだけ挙げられてたんですが、社会基盤が整ったというよりも時代に無関係に登場した流れにも見える。日本の近代社会にむしろそういう異端として存在したことそのものには意味があると思うんですけどね。

で、他の系統は学術団体、渋沢栄一氏の孫の渋沢敬三氏がわかりやすいんですが社会を生物学の観点で眺めると口にしていて作られたのがアチック・ミュージアム。博物学だろうね。他には企業単位ではなく技術を工向上させようとしていたり教育を援助したり、社会のほうからの要求に従ったり。
他に天皇からの恩賜という形を取った団体もあるんですが、まあやっぱり基盤がなぁ。